線維筋痛症のルーティンとつぶやき

線維筋痛症と双極性障害と共存しようとだらっと奮闘中のシングルマザーのつぶやきです

生きてる

相変わらず鈍痛と発作的に起こる激痛、
ひどい倦怠感に苛まれる日々を送っています。


朝早くに重く、寝汗でぐっしょりで
冷えた身体を持ち上げて、
まず着替える。


薬を飲んで、空調をつけ、
ベットに戻る。


そのうちに息子が起きる。


その頃には薬が効いてきて、
なんとか動ける身体の出来上がり。


朝の支度と家事をルーティーン化し、
しんどくてもこれだけは、として、
リハビリだと思ってやっています。


ここから少し休憩。


犬とゴロゴロしたり、
せんちゃんと遊んでもらったり。


YouTubeをみて、できそうなパンやお菓子
レシピをノートにまとめたり。


11時近くなってくると痛みが出てきます。


薬を飲んで、夕ごはんを決めて、
下準備までできればいい。


余力があればここでパンを仕込んだり、
子どものおやつを作る。
すっかりコロナ太りなので、
低糖質なレシピを拝借。


帰ってくるまで休憩。
午前の休憩と同じ感じが多い。


帰ってきたら子どもは遊びに行くか、
家で流行りのフォートナイトで大騒ぎ。


やれ宿題、連絡帳などなどで、
声を振り絞る。


ちょっとゆっくりしたら、
娘が息子を誘って犬の散歩へ。


わたしはせんちゃんのお世話と、
戯れタイム。


お風呂掃除は息子の仕事。


うちはお風呂→ごはん。


お風呂は息子と入る。
色んな話を聞いたり、くだらない遊びをする。


息子にとってはお母さんとふたりでいられる
楽しみな時間の様。


ごはんを食べたら、
食器洗い担当は娘。


そこからは洗濯物を畳んだり、
ベットメイキングしたり。


子どもたちも自由に過ごす。


そんなこんなで1日が終わる。


それでも1ヶ月のうち5日くらいは、
どうしてもできない日もあれば、
友人や妹と買い物に出られる日もある。


「生き地獄」


そう思っている日々もある


いつも通りの朝、
ふとベランダへ出てぼーっとしていると


「生きてることが凄いこと」


そんな言葉が急に腑に落ちた


敢えて「素晴らしい」ではなくて、
「凄い」だった


3・11のことや、
息子に泣きながら


「ママもぼくもこのまま生きたい」
「ずっとママとぼくはこどもでいたい」


そんな言葉が重なったからかもしれない。


わたしはなんら素晴らしいことはしてない


でもわたしはただ生きていて、
生きている人や動物たちが側にいることが


「凄い」 「奇跡」 「軌跡」


そんな風に思えた。


色んな心配事や
ちょっと片付けなければいけない
面倒なこともある


今は「なんとかなるな」なんて、
受入れてやり遂げようと思えている


ネガティブでもポジティブでもないけれど


それが今、わたしはとても心地よい

しりたい

優しさ、ってなんですか


人の為に尽くすこと?


人の為に叱ること?


人の為に涙を流すこと?



じぶんに素直な人は


自分勝手で、思いやりがないなんて


レッテルを貼られたりする



優しい人はそうでない人に


つけこまれ、汚されて


それでも人に言えず


「じぶんのきもち」を言えないまま




体に寿命があるように


「こころ」にも寿命があるのかな


優しくない方がずっと楽で、


ずーっと自由で


ずーっと自然だとわたしは思う




それでも優しくてキレイな人は


本当に美しくて強い、と感じる



みんな、もちろんわたしも


「じぶんのこころ」を


開放してあげて欲しい



優しさってなんだろう

恋バナ

誰にも(恥ずかしすぎて)話せない
需要もないカビの生えた恋の話をします。


わたしは誰かを好きになるという
感情がよくわからない人でした。


コレも中二病こじらせてるっぽくて…
ハズカシイ…。


幼稚園のときから仲の良かった幼馴染がいます


医者のひとり息子で、
大人からの評判はそりゃぁお利口さん。


しかし!!
実態はまぁ口は悪いわ、
わたしの妹いじめるわ、
すーぐつねるわ…


でもなんか気が合って、
帰りのバスは大体となり。


小学校は違ったので、
全く思い出しもせず過ごしました。


中学校へ上がり、蛇口で手を洗っていると


「あれ?おまえ(フルネーム)じゃね?」


これは鮮明にフルカラーで覚えています


あー(フルネーム)久しぶりじゃん


しかも同じクラス
2年連続。


彼は相変わらずで、皆の前ではニコニコ
わたしにはおまえ呼び


それでも中学恒例の男装文化祭では
彼の学ランを借りたり、
校長先生の長い話に眠くてしょうがない
わたしの顔に大笑いされたり。


程なくして医者を目指すヤツとは
もちろん別の進路へ


でもなぜか忘れかけた頃には


ちゃっかり夢に登場する
なぜか連絡先を知っていて、
オマエなにやってんの〜笑と
小馬鹿にしたどうでもいい話をしてくる


そんなこんなで従兄弟に
半ば無理やり紹介された元夫と
そのまま結婚


ちなみにここまできても
人を好きになることはなかった…


ふたりの子宝に恵まれ、
てんやわんやしていたわたしも
医者の勉強に励む彼も


僅かだって思い出すことなんて
なかった、とおもう


そのうち、わたしは離婚。
理由は色々ありすぎるので割愛。


そんなタイミングで彼から連絡が。


久しぶりに会った。


相変わらずだった。


けれどなぜか、ちょっと心配になった。


何回か会う内、色々何でもない話をした。


そんな中で、なんかそういう雰囲気になった


自然に、そうなった。


彼は、
「おまえは俺にないもの全部持ってる」
と、寂しそうに言う。


彼の今の母親は彼を産んだ女性ではない。


この人を産んだお母さんは、
彼を生んですぐ、亡くなっている。


「それを知ってるのはおまえだけ」


「跡継ぎがいる。結婚を急かされてる」


「今まで彼女ができてもうまくいかない」


「本当の俺を見せられない」


わたしは再婚するつもりはない
そもそも代々医者の一族に、
バツイチ子持ちが受け入れられるわけもない


そんなことお互いわかっていた


お父さんに無理やり見合いさせられていると言ってきた


わたしはなぜかめちゃくちゃ笑えて。


結構深刻な彼に向かって、


お見合いどうだった?
ナニソレ次元が違うわー笑


と笑いながら話を聞いていた


車の中、彼は珍しく真剣に


「おまえがひとりだったらな」
「俺にはおまえと子どもを抱えきれる自信がな い」


そりゃそうだよー
わたしもそんなつもりはないし。


そう答えてその日はバイバイした。



当時、既に双極性障害を患っていたわたし。


ある日うつ期でしんどい日に、
彼からいつもの軽口をたたく連絡があった。


いつもならそんなときも、
なんとか感情を整えて話すようにしていた。


これ以上この人を傷つけたくなくて。


それなのに、それなのにわたしは、


「もう二度と連絡してこないで」


そう言って一切の連絡先を断ってしまった。


それからもう何年か経ちます。
彼からの連絡は一切ありません。


なぜ、この事を思い出したかというと、


この数日、毎日彼が夢にでてくるのです。


毎日、毎日。


笑ってたり、絶対優しくなんてしなかった
アイツがすごく優しい笑顔で
話をする。


なにか伝えたいことがあるのか、


わたし自身が、
どこかで伝えたいことがあるのか。


わたしが伝えたいこと。


あるとすれば、


あの時はごめんなさい。
どうか幸せであって欲しい。


知らないところで努力して、
知らないところで苦しんでた
そんなあなたを知っているから。


現在住んでいるところも近い。
会おうと思えば会える。


生きていればまたどこかで会える気がする。


その時は本当の笑顔で奥さんと寄り添う、
無邪気なあなたとその子どもたちを
遠くで見られたら。


本気で本当に現実になって欲しい。


彼への気持ちが恋だったかはわかりません。


でも生きていれば。


毎日死にたいと願っているけれど…。


生きて、見届けたい幸せが、
まだたくさんある。


もう少し生きなきゃ、ね。